宇宙旅行はエレベーターで

宇宙旅行はエレベーターで
ブラッドリー C エドワーズ フィリップ レーガン
ランダムハウス講談社
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若田さんが乗ったスペースシャトルの打ち上げが成功したが、この本はロケットに変わり宇宙開発の鍵を握るという宇宙エレベーター(あるいは軌道エレベーター)に関する。読んでみると、著者の本書による目的は、宇宙エレベーターが、既存技術の組み合わせによって、ほとんど実現可能な段階であることを世の中に知らしめることにあるようだ。

しかし、その目的の半分は失敗しているといわざるを得ない。まず、本文の中に、いくつか相互に矛盾する記述が少なからずあり、そのせいで、本書全般に対する不信感をぬぐえない点である。たとえば、宇宙エレベーターを標的にするテロの可能性について、前半では「意味がないので心配ない」としながら、後半では「9.11テロ以降、検討の必要があると考えた」などと、反対の趣旨の記述がある。こういうブレが多いと、著作全体に対して疑念を持ってしまう。ちなみに、テロの可能性は大いにあると思う。

次に、宇宙エレベーターの実現の中でもっとも不可欠な技術である、カーボ・ナノチューブによるケーブルであるが、これが最も大事であるにもかかわらず、現状、必要な強度の素材が開発途上であり、実現の見込みも明らかにしていない。これでは、そのほかの要素技術が可能だとしても、やはり宇宙エレベーターは、現在の技術では不可能ということになる。その点の説得力にかけている。技術的な課題を明確にして、今どこまでできているのか語る必要が、本書にはあったのだと思う。それが足りない。

さらに、宇宙エレベーターの開発主導権を誰が握るか、という可能性の考察であるが、NASAは組織的な疲弊等で動きが鈍く見込みが薄く、民間企業、一握りの個人、米国以外の国家が主導権を握る可能性を示唆している。技術のコモディティ化が宇宙開発にまで及ぶという考察は興味深いし、その可能性も高いのだと思うが、結局この議論も、宇宙エレベーターの主導権争いが、何を中心に回るのかという洞察を欠いており、可能性を述べたに過ぎないような印象がある。穿ってみれば、NASAにはいまいち相手にされないので、ほかのパートナーを物色しているように見えなくもない。

というわけで、広報活動に色気を出すより、まじめに技術開発してほしい、と思う次第である。低コストで宇宙空間に出かけることには、非常に大きな発展の可能性があるのだから、ちゃんと技術的に実現可能性を示して、NASAを味方につけるのが正しいのではないのか?