バスジャック

バスジャック
バスジャック
posted with amazlet on 08.03.19
三崎 亜記
集英社 (2005/11/26)
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短編集。

「二人の記憶」。男女の会話のずれ。別にずれてたって、どうってことはない。相手を信じていられるなら、なにも問題にならない。でも、同じものを見ていながら、違う感情を持っていることに気づいたとき、どっちに転がっていくかは別れ道。どちらに転がるかは、たいした違いではないのだけど、結果は正反対だったりする。運よく、出会ったころの、体験を共有できていたときのことを思い出せたなら、もうしばらく一緒にいられるのかもしれない。

「動物園」。たまに動物園に行くが、動物を見ているようで、実は見ていない。認知の盲点をするどく突いている。なかにお話のような展示があっても、気づかないかもしれない。

「送りの夏」。お葬式は祖父のときに一度だけ。世間の標準から言えば、大往生。とはいえ、介護に疲れ、どこか安堵のようなものもありながら、送るときには涙する母やその姉妹、それほど親しかったわけでもないのに、納棺の際に、やはり涙する妹や従姉妹。祖父との関係が希薄だった自分は、その関係を見つめなおす時間もなく、あっという間に葬儀は終わり、祖父は骨になって墓の中。初七日がどうとか、目の前をあっというまに葬式は駆け抜けていった。そして、「葬儀は生きているものたちのためにある」と、変に納得して、日常に戻る親族たち。まあ、確かにそういう見方もあるし、実際、葬式は生きているもののためにあるのだろう。葬式あげても生き返るはずがない。いまでは10年くらい昔の話。でも、そうだったのだろうか。単に、葬儀屋のビジネスに流されただけじゃなかったのか。もっと近しい人が死んだなら、あるいは、大往生じゃなくて、もっと唐突に誰かの上に降りかかった死だったならば、これで終わってしまうわけにはいかないかもしれない。そうやって終わってしまったら、一生後悔するかもしれない。長くなったが、この短編では、正反対の、長い別れ方で、死者を送り、生きている自分が次の一歩を踏み出す。小説の中でしか許されないことかもしれないが、でも、変にわかったような顔をして生き続けるよりも、死んだ気になって、納得するまで別れを惜しむような生き方もあるだろう。いずれにしても、このあと訪れるかもしれない死を、悔いなく受け止めていけたら、と思う。

どの短編も、奇妙な設定と、そぐわないキャラクターの思いやりとが、おかしなバランスで交じり合って、穏やかな読後感へ導く。